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Good Days

笑顔でいれば、楽しいことがやってくる

Good Days

live for today
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知ること、知られることを恐れずに
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Never let me go

映画*テレビ

 

ドラマ「わたしを離さないで」が最終回を迎えました。

いつも録画だから、ようやっと昨日見た。なかなかにテーマが重いから、見よう見よう~♪って気軽に見れないのが残念でしたが、考えさせられる内容だったわ。

 

以下、ネタバレ含むのでまだ見てない方、結末を知りたくない方はご注意!

 

 

 

最終回ではトモ(三浦春馬)に3回目の提供通知がきて、最期になるかもしれない提供を前に、恭子(綾瀬はるか)に介護人をやめてほしいと言い出す。本当に愛しあう二人なら提供までの猶予が与えられる、という希望がなくなったこの状況に、トモも恭子もどうしたら良いのかわからない感じ。

 

提供が使命だと頭では理解しながら、やっぱりトモにそばに居てほしいと思っている恭子です。それは多分、トモも同じ。

 

街でたまたま龍子先生に再会した恭子は、トモを誘って少年サッカーを見に。そこで久しぶりにトモが笑う。サッカーをする少年の父親は、トモが幼少期に陽光を抜けだそうとして置いてけぼりをくった、あの時、抜け出せた少年のひとり・広樹の心臓が移植された人物だった。

 

「世界は広いですね」、というトモの言葉。最初は、どういう意味だろうってわからなかったんだけど、提供者として限られた世界で生きてきたトモにとって、広樹の心臓が移植されて別の人物として生きていることを知って出た言葉なのではないか、と。広樹の身体では知り得なかった世界を、別の身体を借りて体験している広樹なのではないか、と。トモはそう考えたんじゃないのかなぁ。そしてそれは、提供者の、陽光の教育方針に反発をしていた龍子先生を少しだけ救う言葉だったのではないかなぁ。

美和が、恭子の「私たちは天使だから」に救われたのと同じように。

 

夜、ベッドに並んで座るトモと恭子には、もう残された時間が少ないことを知っている。恭子はトモに抱きしめられながら「わたしを離さないで」と。

 

このドラマのタイトルにもなっている「わたしを離さないで」。美和が提供に行くストレッチャーの上でも泣き叫んでいたけれど、セリフとして使わないほうがよかったんじゃないかなーって個人的には思うんだけど。

 

英語を日本語に直したときの違和感があるんだよ。無理やり使うのではなくて、「ひとりにしないで」とかのほうがしっくりきたかな。活字で読むものと声にしてきくのでは、やっぱり印象って違うから難しい。

 

それぞれ大切な人と離れなければならない、大切な人を残していかなければならない、そんなシーンで使われている言葉。美和が残される恭子に言ったのに対して、恭子は恭子を残していくトモに対して使ってる。

 

トモの最期のシーンは描かれていないし、泣いて泣いて離れる二人のシーンはなかった。だからこそ、オペ室に入ったトモと恭子のガラス越しの心の声が、切なかった。死してもなお、どこかで生きていることを知ったトモの最期は、絶望だけではなかったんだと思う。

トモの分身である空気の抜けたサッカーボールを助手席に、思い出の地をめぐった恭子は、橋の欄干から川に向かってボールを落とし、「いけー!」とまるでサッカーの試合をするトモを応援しているかのよう。

 

美和もトモもいなくなり、介護人を務めていた彼も使命を終えた。みんなの形見が入った宝箱を手に、のぞみが崎にやってくる恭子。散歩に来ていた恵美子先生と出会う。

ああ、ここで美和は死ぬつもりなんだな、って。誰からも奪われないものを持って欲しかったという恵美子先生の言葉通り、恭子は宝物たちを大切にしてきたけれど、今はその箱がとても重いんだよね。だれも、忘れ物をとりにきてくれないのだから。

 

予想通り、恵美子先生と別れたあと、靴を脱ぎ、箱をおいて、荒れてる海に入ろうとする恭子。

 

ええええ?!原作と終わり方違うの?と思っていたら、恭子の足元に波に乗って転がってきたのは、かつて恭子が川に流したトモのサッカーボール。

 

トモは、恭子に使命を果たして欲しかったんだね。最期まで、生きて欲しかった。みんなが集まって待ってるそこへ、まだ来ちゃダメだよ、って。

 

もし本当に、世の中に提供という仕組みがあって、そのために存在するクローンがあったら、寿命は伸びるかもしれないけれど、医療技術は衰える気がします。なにかあればすぐ移植ってね。

もし本当に、何かをするためだけに生まれる運命があるのだとしたら、自分はどう思うだろうか。何歳までのこの時期までに、これをして、人生を終えてください、って決まっていたら。それがあなたのすべてです、って言われたら。何のために生きているのか、ときにわからなくなって、いつもそれを探しながら生きているのが今の人生なのに、人生の意味が決められていたら。

 

それでもやはり、その結末に向けて、人生の意味を問うていく気がするな。